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【海外サイエンス・実況中継】「がんの分子標的療法」の時代到来 ~肺がんを例に~(後)

posted Jan 30, 2012, 11:44 AM by Yunke Song   [ updated Jan 31, 2013, 12:45 PM ]
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_/ 『海外の大学院留学生たちが送る!サイエンス・実況中継』
_/ October 2009, Vol. 51, No. 1, Part 2
_/ カガクシャ・ネット→ http://kagakusha.net/
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前回に引き続き、ダートマス大で微生物学・免疫学において博士号を取得した
布施さんに、分子標的療法によるがん治療の最前線について紹介してもらいま
す。前回は、分子標的療法に辿り着くまでの時代的背景と、その治療に使われ
る2種類の標的抗がん薬品について、書いてもらいました。今回のエッセイで
は、肺がんを対象として、分子レベルの研究が治療に劇的な変化をもたらした
例、そして今後の肺がん治療の予測をご紹介します。どうぞお楽しみ下さい!


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最近発表された論文の簡単な紹介とその将来的な可能性など
「がんの分子標的療法」の時代到来 ~肺がんを例に~(後)
布施 紳一郎
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●肺がんを例に
喫煙に対する規制が進む中、米国における肺がんによる死亡率は、確実に減少
しつつあります。しかし、2009年現在でも、毎年22万人が肺がんの診断を受け、
16万人が肺がんで死亡しています[7]。5年生存率は1975年の13%から現在16%と
改善はほぼ見られず、末期患者においては5年生存率が3%を切っており、新規
治療が早急に必要とされています[8]。

肺がんは組織的観察から、主に小細胞肺癌(SCLC: Small cell lung cancer)
と非小細胞肺癌(NSCLC: Non-small cell lung cancer)に分類されます。NSC
LC はさらに腺癌(adenocarcinoma)、扁平上皮癌(squamous cell carcinoma)
と大細胞癌(large cell carcinoma)などの種類(サブタイプ)に分けられま
す。従来の治療は、SCLC と NSCLC の2種類のみに分けられ、NSCLC は1つの分
類として、タキサン・プラチナ併用化学療法が用いられてきました。しかしな
がら近年では、アバスチンが非扁平上皮癌のみに用いられるなど、NSCLC の治
療がさらに細かく分類され、サブタイプにより使用する抗がん剤の種類が異な
る傾向にあります。そして、近年の研究結果により、腺癌はゲノム変異の種類
によって、分子レベルで分類されることが明らかになってきました。以下では、
分子レベルの研究が治療に劇的な変化をもたらした例を、2つ紹介します。

1つ目の発表は、EGFR 阻害剤(アービタクス、ベクチビックス、イレッサなど)
が K-Ras 遺伝子を活性化する変異を持つ腫瘍には効果がない、という発見で
す[9]。K-Ras という遺伝子は EGFR の下流で働き、癌遺伝子として有名な分
子です。上流の変異を阻害剤で抑えても下流に異常があれば効果がない、とい
うのは科学的に考えれば当たり前だと思われるかもしれません。しかしながら、
臨床でこれほど生存率として結果が明白に表れたのは非常に有意義なことであ
ると言えます。従来、EGFR 変異や過剰発現を有する腫瘍に対しては阻害剤が
用いられてきましたが、期待されたほどの効果が示されてきませんでした。今
回の研究結果で、その原因が臨床試験において K-Ras 遺伝子の変異を有する
腫瘍をもつ患者が多数含まれていたことであることがわかりました。さらには、
他の下流遺伝子(B-Rafなど)に変異も EGFR 阻害剤の効果を打ち消すという
結果が発表されています[10]。この結果は昨年、がん分野で最も影響力のある
学会である ASCO で大きく取り上げられました[11]。最終結果が New England 
Journal of Medicine 紙に発表された直後に、米国の治療プロトコールにおい
て、EGFR 阻害剤の使用は K-Ras 遺伝子の変異を持たない腫瘍に限ることが推
薦されました[12]。学会発表から治療プロトコールを変えるまでわずか6ヶ月、
論文発表からはわずか1ヶ月程度と、肺がんの治療方法に多大なインパクトを
与えた研究成果と言えます。

2つ目の発表は、2007年に NSCLC において発見された新しいゲノム変異に関す
る報告で、この成果もわずか数年で臨床に導入されることが予測されます[13]。
発見された変異は、染色体の一部が反転することによって起きる逆位
(chromosomal inversion)と呼ばれるもので、その結果、EML4 と ALK 遺伝
子が融合し、ALK キナーゼの過剰活性化につながります[14]。この EML4-ALK 
遺伝子の発現は、NSCLC 患者の7~13%に診られます。さらにこの変異は腺癌に
限られ、且つ EGFR と K-Ras の変異を持たない腫瘍に限られることが報告さ
れています[15]。この変異を有するがん細胞は ALK 阻害剤に感受性を示すた
め、この変異を持つ患者集団にとっては有効な治療オプションとして期待が高
まります。


●肺がんの治療はどう変わるか
これらの結果を元に、Horn 氏と Pao 氏は、Journal of Clinical Oncology 
に掲載された論説において、肺がん(NSCLC)の治療はゲノム変異によって決
定される時代が到来しつつあると述べています[15]。彼らは近未来の NSCLC 
の治療プロトコールとして、以下のモデルを提唱しています。

(1) 肺がん(NSCLC)の診断を受けた患者においては、まず K-Ras の変異の有
無が検査されます。K-Ras の変異を有する腫瘍には EGFR 阻害剤は効かないこ
と、また EML4-ALK 変異を有する可能性が非常に低いことが知られています。
よってこの患者集団は K-Ras 阻害剤、または下流遺伝子(例:B-Raf)の阻害
剤による治療を受けることになります。

(2) K-Ras の変異が見られない腫瘍を持つ患者は、EGFR の変異の検査を受け
ます。この変異を有し、且つ K-Ras 変異が見られない腫瘍は、EGFR 阻害剤へ
の感受性が高いため、この患者集団は EGFR 阻害剤を中心とした治療を受けま
す。

(3) K-Ras, EGFR の変異が見られない腫瘍は、EML4-ALK 変異の有無を調べ、
変異を有する腫瘍は ALK 阻害剤による治療を受けます。

(4) 以上3つの変異が見られない腫瘍を持つ患者に関しては、さらに頻度の低
い変異(Akt, PI3Kなど)の検査を受け、その変異に適した治療を受けます。

このように、腫瘍のゲノム変異の組み合わせにより、治療を選ぶ時代が近い将
来実現する、と Horn 氏と Pao 氏は予測しています。

実際に、K-Ras と EGFR 変異を検出する試験は既に商業化されており、EGFR 
阻害剤は臨床で頻繁に使用されています。B-Raf 阻害剤は、現在肺がんとメラ
ノーマ(黒色腫)において、臨床試験第2相まで進んでいます[16]。さらには
この記事を執筆中に、EML4-ALK 変異を検出するための分子診断を開発してい
るアボット社(Abbott Laboratories)と、ALK 阻害剤を試験中のファイザー
社(Pfizer, Inc.)の提携が発表されました[17]。ALK 阻害剤は、臨床試験第
3相まで既に進んでおり、わずか数年後に、以上のモデルの1~3の過程を実現
化するためのツールが全て揃うことになります。K-Ras 変異に関する報告が、
わずか数ヶ月のスピードでプロトコールに導入されたことを考慮すると、以上
のモデルが数年後に実現化されることも可能であると言えるでしょう。

今回の記事では、肺がんの例を挙げて、がん治療の分子標的治療への移行を紹
介しました。がんの世界では、基礎研究が市場に届くまでの過程(Bench to 
Bedside)が非常にスピーディーであり、他の腫瘍タイプにおいても、今後同
様の傾向が見られることが予想されます。


●参考文献・用語解説
[7] ACSレポート。発生率、死亡率共に一位。
[8] 遠隔転移あり。ステージIVに相当。
[9] Karapetis CS et al. "K-ras mutations and benefit from cetuximab 
in advanced colorectal cancer." New Engl J Med. 359:1757, 2008.
[10] Di Nicolantonio F et al. "Wild-type BRAF is required for response 
to panitumumab or cetuximab in metastatic colorectal cancer." 
J Clin Oncol. 26:5705, 2008.
[11] 米国臨床腫瘍学会。American Society of Clinical Oncology の略。
[12] http://www.nccn.org/about/news/newsinfo.asp?NewsID=194
[13] Soda M et al. "Identification of the transforming EML4-ALK 
fusion gene in non-small-cell lung cancer." Nature. 448:561, 2007.
[14] EML4: Echinoderm microtubule-associated protein-like 4; ALK: 
Anaplastic lymphoma kinase
[15] Horn L and Pao W. "EML4-ALK: Honing In on a New Target in Non-
Small-Cell Lung Cancer." J Clin Oncol. Aug 10, 2009 [Epub ahead of 
print]
[16] B-Raf遺伝子の変異は肺がんの約5%、メラノーマの65%において
見られます。
[17] http://tinyurl.com/n7eloz


今回のエッセイへのご意見は、こちらへどうぞ。
http://kagakusha.net/modules/weblog/details.php?blog_id=144


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自己紹介
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布施 紳一郎

布施 紳一郎
慶応義塾大学理工学部、東京大学院医科学修士、米国ダートマス大学院博士課程修了
(2008年、免疫学)。大学院修了後、ボストンに拠点を置く早期ステージベンチャーキ
ャピタルであるPureTech Venturesのアソシエイトとして、Vedanta Biosciences、
Mandara Sciencesの起業に関わる。2012年よりヘルスケア戦略コンサルティングファーム
であるCampbell Allianceのシニアコンサルタントとして製薬・バイオテック企業の戦略
アドバイザリーを手がける。コンサルティング業に加え、起業家、VCアソシエイトを対象
としたNPOであるStartup Leadership Programの2012年ボストンフェロー、
現ヴァイス・プレジデントとして運営を手がける。


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編集後記
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9月中旬に欧州最大の腫瘍学会である欧州臨床腫瘍学会(ESMO: European 
Society of Medical Oncology)年総会が開かれました。今年の学会で最も注
目を浴びた発表は、黒色腫(メラノーマ)におけるBRAF阻害剤の劇的な効果で
した。

2002年に黒色腫の60%がBRAF遺伝子に変異があることが発見されて以来、この
分野におけるBRAF阻害剤の効果が注目されていました(Davies et al. Nature, 
2002)。現在有効な治療が存在しない後期黒色腫にも分子標的療法の風が吹き
はじめています。(布施)


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