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【特別エッセイ】~ノーベル賞学者から学ぶこと~

posted Jan 30, 2012, 11:30 AM by Yunke Song   [ updated Jan 30, 2012, 11:30 AM ]
先週発表された通り、今年のノーベル賞は史上はじめて、日本人(アメリカ国籍を含む)の受賞者が4人を数えるという良いニュースに、日本は沸き立っていることと思います。サイエンスの話題がトップニュースになることは、なかなかないので、これを機にもっと世間の注目を集める頻度が増えたらいいな、と思います。

さて、当メルマガのテーマでも、「Ph.D.取得後のキャリアを成功させるには」というトピックでお送りしてきたので、ノーベル賞についてのエッセイを期待している読者の方も一部いると思います。研究をばりばりやっていきたいという人たちの中には、将来、ノーベル賞を目指したい、という方もいることでしょう。「ノーベル賞の取り方」については、実際に取った人にしか語れませんが、このエッセイでは、筆者がこれまでお会いしたノーベル賞学者や、今年受賞した科学者から、どういった特徴が共通しているのか考察することにします。

ただ、前もって断っておきたいのが、「ノーベル賞を目指すぞ」という動機で、研究の道を行くのはお薦めできません。なぜなら、それは一つの結果であって目的にするべきことではないし、賞の対象分野になっていなくても重要な科学分野はごまんとあるし、そもそもこの賞をもらうというのは、運まかせの部分がかなり大きいからです。「いつかノーベル賞を取る」と言われている研究者で、まだ取ってない人たちは、枚挙にいとまがないです。賞をもらえぬまま、逝去されてしまった人たちも多くいます。また「ノーベル賞級の」研究をしていると言われている人たちは、おそらくノーベル賞学者の10倍以上の数はいるでしょう。

だから、ノーベル賞に当確になるということは、成功した研究者の中のさらに一握りに過ぎず、まさしく宝くじに当てるようなもので、かなりの運も必要になってきます。もちろん、宝くじと違って、本人の努力や工夫次第で、確率を1万分の1にも、50分の1にもすることができます。この「確率」を高めるための項目を主に4つ、挙げてみたいと思います。ノーベル賞自体ではなく、研究者として成功をおさめる事柄にも共通しています。

その4つとは、NoBEL(ノーベル)の頭文字を取って、NOvelty("新規"の発見)、Belief(成功を"確信"している)、Environment("環境"に恵まれる)、Love(本当に"好きなこと"をやっている)、です。


1.NOvelty(新規性): 将来重要になる分野で「0から1の発見」をすること

ノーベル賞の特徴として、「当該分野を前線で引っ張っている著名人」ではなく「その分野を切り開くことになった第一発見者」に賞が行くことです。このあたりをノーベル委員会は徹底的に調査し、調査にかかる費用は、賞金に匹敵するとも言われています。

2002年に化学賞を受賞した田中耕一博士が良いことを言っていました。「私の研究は0から1にしたに過ぎず、その後、他の方々が1から100にしてくれた」・・・この発言がノーベル賞の本質を見事にとらえています。ですから、科学者だったら誰もが憧れるような超一流雑誌に論文をばりばり出している人に行くというわけではなく、当初は全く注目されなかった、地味な雑誌に発表した論文がノーベル賞の対象になっていることがしばしば見受けられます。その後、著名人になってその分野のさらなる発展に貢献している人たちがいる一方で、発表後は研究活動では隠居状態になっている人たちもいます。

また、「0から1の発見」をしたとしても、その研究がのちに大きく発展して、人もしくは科学の常識を覆すきっかけにならなければいけません。

物理学賞コンビの益川敏英・小林誠両教授は、のちにこれまでの素粒子論の歴史を変えるほどの「小林・益川理論」を1973年に、発表しました。日本発の研究ジャーナルに発表したこともあってか、当時は、全く注目を浴びませんでしたが、実際に実験で証明されて行くにつれて、脚光を浴びることになったのです。正しいことが分かるのに、実に30年もの月日がかかり、それが賞につながっていったわけです。

また、化学賞の下村脩博士が発見したGFP(緑色蛍光タンパク質)も、当時はどんな価値があるのか、本人も把握していませんでした。それを初めて、生き物の細胞の中に入れて、遺伝子の「マーカー」として有用である可能性を示したのが、下村博士と共同受賞したチャルフィー教授であり、それをさらに万人の生物研究者に広める役割を果たしたのが、もう一人の共同受賞者ロジャー・チェン教授だったわけです。

ちなみに筆者は、ノーベル賞発表のちょうど2週間前に、ロジャー・チェン教授とランチを一緒にし、直接お話しできる機会がありました。彼も、共同受賞したチャルフィー教授より、GFPを細胞に組み込むことを発想し、行動を始めることは早かったのだが、自分の研究室には分子生物学の手法を扱える人がいなかった(彼自身は化学者)という事情もあり、この点ではチャルフィー氏に一歩遅れをとりました。

しかしその後、緑色だけでなく、まるで絵の具セットのような、様々な色の「蛍光タンパク質シリーズ」を開発したり、GFP以外のさまざまな細胞内のプロセスを可視化できる蛍光マーカーを発見したりと、飛ぶ鳥を落とす勢いで新たな手法を次々と発表し、生物学に貢献してきました。

しかしチェン教授は、もう過去のことは終わったこととしてあまり顧みず、次世代の可視化する技術についていろいろと考えていました。例えば、がん細胞を実際に体内で見えるようにしたり、がん細胞のみをターゲットにした薬に応用できる方法だったり、はたまたこれまで考えられなかった画期的な方法で体内を観察する手法のアイデアを披露したりと、将来を見据えた展望の豊富さに、ただただ驚かされるばかりでした。

私が唯一今後とても有望と考えていた、ある新技術についても意見を伺ったのですが、彼はすでに、その技術の第一人者といわれる科学者と共同で研究に着手しており、その手法の限界を具体例を挙げて、語ってくれました。さすが、すでにだいぶ先を行っていたのか、と感心したものです。

このように、下村博士のように好きなことをとことん追求して発見したものが後に非常に役立つものだった、チェン博士のように"確信犯的に"これから重要になる技術を見極めて本当に発見できた、という風に、過程は違えども、将来重要になるものをほとんど0の状態から発見するということが、ノーベル賞受賞には必須といえるでしょう。


2.Belief(信念): 成功を確信している

また多くのノーベル賞学者が持っている特徴として、不可能に見えるような研究にもかかわらず、必ずうまく行くと信じて、最後は大発見をおさめた、というのがあります。これまで誰もできなかったことを発見するのですから、成功する確率は非常に低い、またはそのように思われている。まわりからも冷めた目で見られた経験を持つ人たちが多くいます。

それでも、こういった人たちは「成功できる」と考えて、何度も失敗を繰り返しても、めげません。そして、成功という頂上にたどりつくための経路を見つけ、それをたどっていって、最後には本当に制覇してしまうのです。他の研究者が大発見にたどり着けないのは、こういった成功を確信することができず、途中であきらめてしまうからでしょう。

日本人唯一の生理医学賞を1987年に受賞した、利根川進教授は、まさしくこの特徴の固まりの人と言って、過言ではないです。彼は、スイスのバーゼル研究所で大プロジェクトを展開し、その間他の研究成果が出ておらず、クビになる寸前まで行きました。しかし、彼はそのために「小さな発見」の論文でつなごうという考えはせず、研究所所長を説得し、ついにはノーベル賞受賞対象となった、抗体の多様性の発見をするに至ったのです。


3.Environment: 環境に恵まれる

研究して行く上で、まわりの環境は非常に大事です。いくらその人に能力があっても、それを発揮できる場所や設備がなければいけません。また一緒に学んだり働いてきた同僚やボスによっても、将来にかなりの影響を受けます。

小林誠氏と益川敏英氏は、ノーベル賞を取ってもおかしくなかった、名古屋大学の故・坂田昌一教授のもとで素粒子論を学びました。そして二人はその後、京都大学に移ってタッグを組み「小林・益川理論」を提唱しました。師匠の坂田博士は、日本で始めて賞を受賞した湯川秀樹氏の同僚かつ共同研究者であり、もう一人の受賞者・朝永振一郎博士とあわせて、日本が誇る「三大理論物理学者」といわれています。また、共同受賞したシカゴ大の南部陽一郎氏は、師匠であった朝永博士の推薦でアメリカに留学しました。さらに2002年に物理学賞を取った小柴昌俊教授は、同じ朝永博士のもとで学び、南部氏と一緒に研究活動をしていたこともあります。このように、実に物理学分野の日本人受賞者6人がネットワークのように密につながっていたわけです。

このような例は日本だけでなく、世界のノーベル賞学者の「ネットワーク」を見ても、多く存在します。このような人たちは、ずっと一カ所にとどまるということはせず、優秀な師匠や同僚がいるとなれば、どんどん研究の場を移っていきます。


4.Love: 好きなことをやっている

当然と考える方も多いと思いますが、アカデミアの研究者として成功を目指すには、「その研究を好きであること」が大前提です。「食べて行くために仕方なしに研究の道を選んだけど、なぜかノーベル賞とれちゃった」という話は聞いたことがありません。基礎系の研究者は、労働時間や必要な努力を考えても、たいていの場合、経済的にはあまり報われているとは言えません。それでも、寝る間を惜しんで働いたり、他の研究者と議論をし出したら止まらなかったり、仕事場にいないときでも研究のことを考えていたりするのは、「本当に好きなこと」をやっているからです。

化学賞の下村教授は、当時、まさか自分の研究がノーベル賞につながるとは思っていなかったであろう、オワンクラゲの「光る物質」の正体を分離しようとしていました。その仕事は、「光る物質の正体を知りたい」「光るメカニズムを明かしたい」という、単純な好奇心から来るものだったでしょう。そうでない限り、自分の家族まで動員して、夏休みの旅行と題して、何十万匹ものクラゲ採集に費やすことは到底できません。本人にとってはそれはきっと「最高の娯楽」であったに違いないのです。


以上、ノーベル賞を取るために重要な4つの項目"NoBEL"について、お話ししました。ただ、これらのことを満たしたとしても、必ず賞をもらえるという代物ではありません。また、大発見から30年以上の年月がかかる可能性も高いです。小林・益川両博士は35年、下村氏は46年、南部氏に至っては50年も前に発見した理論で受賞しているのです。「ノーベル賞を目指して研究」すること自体は、いかに空虚な目標であるかがお分かりいただけるでしょう。

しかし、成功する研究者を目指す以上は、NoBELな条件を一つでも満たしていけるよう、日々精進していきたいものですね。私たちの世代の活躍が、20-30年以上先の日本を活気づけられますように。


杉井 重紀
カガクシャネット代表
http://shigeki.org/
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